目上の人には「ご苦労さま」ではなく「お疲れさま」と言うべしと、巷間、よく言われる。
たしかに、
▶岩波国語辞典 8版
ごくろう ②他人のほねおりをねぎらう言葉。「―だったな」
▷②はふつう目上の人に対しては使わない。
ていう辞書もある。ただここでは、「さま」がついていないことに注意。
「さま」がついてもダメ、というのには、こんなのがある。
▶明鏡国語辞典 3版
[使い方]目上の人に対しては「お疲れ様」を使う方が自然。「部長、大変なお仕事でしたね。△ご苦労さまでした⇒○お疲れさまでした」
根拠不明。ほかにも
▶新明解国語辞典 7・8版
[運用](1)「ご苦労さま」の形で、目下の者の労をねぎらう言葉として用いられる。
おっと、あの新明解が? と思いきや、山田忠雄先生ご存命中は
▶新明解国語辞典 初版~5版
他人の骨折りを感謝する意を表す語。
とだけ。目上も目下もない。
「現代」と銘打ちながら、実際には「近代」日本文学から用例を集めた新潮現代国語辞典は、
▶新潮現代国語辞典 初版
ゴクロウ【御苦労】他人の、苦心や努力をいたわり、感謝し、敬意を表す語。「大きに―〔ヘボン*1〕」「―でした〔仮面*2〕」
―さま【―様】…人の骨折りに対し、ねぎらいの気持ちを表す語。「―。と禮を云ったぢゃないか〔坊っちゃん〕」
つまり、明治~大正期、「目下」という認識があったという証拠はないと思われる。もっとも、漱石や鴎外は誰でも彼でも目下扱いしていた、と言われても反論はできない気もするがw
ともあれ、本当に「目下意識」のある言葉だったのか、大いに疑問と言わざるを得ない。
こうした状況の中、最近、反論の狼煙が上がっている。
▶三省堂国語辞典 8版
ごくろうさま[(御)苦労(様)] <注( )は「仮名書きでもOK」という印>
[!](1) 二十一世紀にはいって、同等・目下の人に使うという意見が強くなったが、本来、「ご苦労さま」で(ございま)す」の形で目上にも使える。
(2) 江戸時代、「ご苦労(さま)」は目上にも使った。「本来、主君が臣下に使った」という説は誤り。
おお、思いっきり言い切ってる! 喝采!
ワタクシとしては、三国の意見に大賛成なのだが、
周りの人々がこれを知らないとすれば(たぶん知らない)、
単なる無知あるいは無礼者と見られる可能性は捨てきれない(大いにある)のが、困ったところ。
こうして、不本意ながらも、長いものに巻かれていくんだろうか。