国語辞典比較:「根暗」と「陰キャ」
小学5年生の少年に、朝比奈あすかさんの「君たちは今が世界(すべて)」を読ませていたら、
「『ネクラ』って、なに?」
と質問された。なるほど、たしかに最近聞かない気がする。すでに死語?
国語辞典で「根暗(ねくら)」を引いてみると、
◎岩波国語辞典8版(2019)
には載っているが、
×岩波国語辞典6版(2000)
には載っていない。
にも載っていない。
高校生用では、
◎三省堂現代新国語辞典6版(2019)
◎学研現代新国語辞典6版(2017)
には載っているが、
には載っていない。
中学生用だと、
◎学研現代標準国語辞典4版(2020)
◎旺文社標準国語辞典8版(2020)
には載っているが、
×三省堂例解新国語辞典10版(2021)
には載っていない。
ともあれ、何といっても今回のチャンピオンは、これ。
◎三省堂国語辞典8版(2021)
ねくら[(根暗)・ネクラ]
〔俗〕生まれつき、性格が暗い〈こと/人〉。〔1982年ごろから流行したことば〕
⇒陰キャ
なんと、「陰キャ」を参照せよと。
(2014年の7版には、「陰キャ」はなかった――ちなみに「根暗」は、1992年の4版には、既に載っている)
そうか! いまや「根暗」は「陰キャ」に取って代わられたのか!
そして
いんキャ[陰キャ]〔←陰気なキャラクター〕〔俗〕かげのある ふんいきの人。陰キャラ。〔2010年代に広まった ことば。「根暗(ねくら)」よりも軽い語感〕(←→陽キャ)
をを、「根暗」との語感の違いまで! ちなみに「陽キャ」は
ようキャ[陽キャ]〔←陽気なキャラクター〕〔俗〕陽気な ふんいきの人。陽キャラ。〔2010年代に広まった ことば〕(←→陰キャ)
なお、大辞林4版(2019)では、「陰キャ」は「陰キャラ」を参照せよ、ということになっているが、「陰キャラ」って、聞いたことない。
そして今のところ、他の辞書に「陰キャ」という項目はない。
国語辞典比較:「自己同一性」は載っているか
「アイデンティティ」という言葉が広まったのは、いつ頃からだろう。
最初の頃、意味がつかみにくくて困った記憶がある。「自己同一性」と訳されたって、それでは何も分からなかった。
▶岩波国語辞典初版(1963)
には存在しないが、日国には1970年の用例が載っている。
▶精選版 日本国語大辞典(2006)
*「ごっこ」の世界が終ったとき(1970)〈江藤淳〉「なにをやっても『ごっこ』になってしまうのは、結局戦後の日本人の自己同一性(アイデンティティ)が深刻に混乱しているからである」
「自己同一性」に「アイデンティティ」(音引きなし)のルビを振っておきながら、「自己同一性」という項目がないのは、精選版だけなのかどうか不明。
ともあれ、岩国も5版になると
▶岩波国語辞典5版(1994)
アイデンティティー それが、他とは異なる、まさにそのものであるということ。自己同一性。▷identity
とある(2~4版は持っていないので、これが初出とは限らない)
かたや新潮現代国語辞典には
▶新潮現代国語辞典初版(1985)
アイデンティティー(identity)自立的存在であること。また、自分が何者であるかの確証。独自性。同一性。
とある。
「新明国」は、3版(1981)には載っていないが、4版に至って
アイデンティティー[identity=自己同一性]自分という存在の独自性についての自覚。
「三国」の4版には
▶三省堂国語辞典4版(1992)
アイデンティティ(-)[identity=自己同一性]自分は自分であって他人とちがう、ということ。存在(ソンザイ)証明。自己証明。個我(コガ)。
音引き「-」が括弧付きになっているのが、さすが。
そして、意外な伏兵、角川必携
▶角川必携国語辞典(1995)
アイデンティティー 自己同一性。自己証明。|identity
これじゃ何も分からん…と思ったら、
じこどういつせい【自己同一性】いつどんなときでも一個の人格として存在し、自分が自分であることを確信すること。アイデンティティ。▷心理学用語。
と、少し詳しい説明が。しかも音引きなし。別の人が語釈を書いたか?
で、「自己同一性」がどう説明されてるか、いろいろ見てみたら、
▶新潮現代国語辞典初版
項目なし(「同一性」もなし)
▶岩波国語辞典8版(2019)
項目なし。
▶明鏡国語辞典3版(2020)
項目なし。
項目なし。
▶三省堂国語辞典8版(2021)
自己同一性〔⇒アイデンティティ(ー)①〕
というのが載った。ちなみに7版(2014)以降のアイデンティティは、①として4版と同じ語釈がある他、②が追加されている。
アイデンティティ(-)②自分はこういうものだ、これに属している、という意識。「日本人としての―」
たしかにこれは必要だろう。
他に「自己同一性」の項目があるのは、まず大辞林。「同一性」を見るよう指示され(アイデンティティーの項目でも「同一性」を見ろと言われ)
▶大辞林4版(2019)
どういつせい【同一性】①物がそれ自身に対し同じであって、一個の物として存在すること。自己同一性。
これでは分からん。次は、旺国。
▶旺文社国語辞典11版(2013)
じこ-どういつせい【自己同一性】→アイデンティティー
そして
アイデンティティー〈identity〉自分は他者とは異なったこのような人間であるという明確な存在意識。自己同一性。「―の確立」
「日本人のアイデンティティ」のような用例には対応していない。次に、高校生指向のこれ。
▶三省堂現代新国語辞典6版(2019)
じこどういつせい【自己同一性】⇒アイデンティティ(-)
そして
アイデンティティ(-)〔identity〕①自分は自分であって、他人とはちがう、ということ。自己の明確な存在意識。自己同一性。「―の確立」②他には代えられない独自性(への帰属意識)。「ナショナル―」
①は三国と同じ。②は三国の方が分かりやすい気がする。でもまあ「高校生の評論読解」を指向しているだけのことはあるか。
「現国例」には、「自己同一性」が子項目としても存在しないが、「アイデンティティ」はもうちょっと詳しく、
[アイデンティティ]⦅アイデンティティー⦆(英identity)①他とはっきりと区別される、一人の人間の個性。自分が独自性をもった、ほかならぬ自分であるという感覚。「アイデンティティの喪失」「日本人としてのアイデンティティ」▷個人だけでなく組織や集団、民族などについてもいう。
おまけにその表記が、「アイデンティティ」なのか「アイデンティティー」なのか、さらには「自己同一性」なのかを、コーパスに基づいて述べているところがユニーク。
それによると、書籍や国会会議録では90%以上が「アイデンティティ」だが、雑誌では57%、ブログでは53%であり、「自己同一性」という表記はゼロなのだという。
――だから「自己同一性」という言葉を語釈でも使わず、項目も立てていないのか。これはこれで見識。
他方、同じく高校生指向のこれは、「自己同一性」の項目がないのに、「アイデンティティー」の語釈に「自己同一性」が出てくる。
▶学研現代新国語辞典6版(2017)
アイデンティティー ①自分が自己自身であると感じる場合の、その感覚や意識を言う語。自己の存在証明。自己同一性。主体性。「―の喪失」「―の確立」
コラム「評論文キーワード」に、22行にわたって詳しい解説が書かれてはいるけれど。
で、高校生の国語力のための辞書といえば、これ。
▶ベネッセ表現読解国語辞典(2003)
【自己同一性 じこどういつせい】→アイデンティティ
に導かれてアイデンティティの頁を見ると、
なんとまるまる3ページにわたって、語釈だけじゃなく分かりやすい用例がみっちり。圧巻。圧勝。
やっぱ、これ名作。
全ての高校生は、ベネッセ表現読解国語辞典を読むべきだ
と再認識。
ちなみに「自己同一性」の項目が(子項目としても)存在しないにもかかわらず、「アイデンティティ」の語釈に「自己同一性」という語を使っている辞書の編者の皆さんはどう思われるのか、ぜひ訊いてみたいもんである。
「いちおう現行」でも、すでに死んでいる国語辞典・漢和辞典
国語・漢字界隈では、2000年のJIS漢字コード改正、2010年の常用漢字表改定は、地殻変動にも等しい大変革。
これらを乗り越えられなかった(つまり、それ以降に改訂されていない)辞書はーー時代を超える大部な「大辞典」を除いてーーたとえ現行品として販売されていても、すでに骨董品と化している(死んでいる)。
具体的には――
【角川】ここは死んでるのが多い。経営体質が死んでるのか。
▶角川漢和中辞典
1959年刊。かつての「名著」。ワタクシも持ってた。もはや古文書。それでも、改訂せずに今も角川の公式で売ってるって、マジ?
▶角川 新国語辞典
1980年でストップ。なんと42年前! これも古文書。「新」の字に騙されてはいけないーー以下同様。
▶角川国語辞典 新版
1986年でストップ。
▶角川 最新国語辞典
「新」の後継が「最新」、というつもりだったんだろうか。1987年でストップ。
▶角川 最新漢和辞典
1995年でストップ。
▶角川 必携国語辞典
1995年でストップ。
▶角川 必携漢和辞典
1996年でストップ。
【旺文社】
▶旺文社漢和辞典
1993年でストップ。後継は「旺文社漢字典」(高校生用)と「標準漢和辞典」(中学生用)
【大修館】
▶大修館 現代漢和辞典
1997年でストップ。
【三省堂】――下の2つは、三省堂のwebではいずれも「品切れ」になっているので、新本の残りは本屋の在庫だけか(あれば)。
「三国」とペアにしたかったんだろうけど、1990年でストップ。
「新明国」とペアにしたかったんだろうけど、1992年でストップ。後継は「新明解現代漢和辞典」(2012)
よく見ると、漢和辞典はたくさん討ち死にしてるけど、国語辞典が死んでるのは、角川だけか。角川の国語辞典事業は、四半世紀前に終わった、ということかな。
国語辞典・漢和辞典比較:虎穴に入らずんば…
虎穴に入らずんば( )を得ず
( )に何が入るか。ワタクシは、ずっと「虎児(こじ)」だと思っていた。
ところが、漢和辞典にはどれを見ても「虎子(こし)」と書いてある。たとえば
▶漢辞源6版(2018)
「不入虎穴不得虎子」(コケツにいらずんばコシをえず)
うぬぬ、勘違いだったのか? そしたら「新明国」2版(実質初版)には
▶新明解国語辞典2版(1975)
「虎穴に入らずんば虎子(コジ)を得ず」
とある。「虎子」を「コジ」と読ませるんだ(以来、最新の8版まで同じ)。
一方、「三国」は4版で、
▶三省堂国語辞典4版(1992)
「虎穴に入(イ)らずんば虎児(コジ)を得ず」
としている(3版以前は手もとにないので分からない)――おお、「虎児」ではないか。(ただし、6版以降には《「虎児」は「虎子」とも書く》っていう注釈を付けている)
ほかにも国語辞典では、
▶三省堂現代新国語辞典6版(2019)
▶三省堂例解新国語辞典10版(2021)
▶旺文社標準国語辞典8版(2020)
▶角川必携国語辞典(1995)
が「虎児」派。
小学館といえば、「日国」は
▶精選版・日本国語大辞典(2006)
「こけつ(虎穴)に入(い)らずんば虎子(こじ)を得(え)ず」
って書いてる。「虎児」ではない。でも読みは「こじ」。
国語辞典系に「こし」というルビをふっているものは、おそらく存在しない。
ただ「岩国」は、初版から5版までは
▶岩波国語辞典初版(1963)
「虎穴に入らずんば虎児(こじ)を得ず」
だったのが、6版に至って
▶岩波国語辞典6版(2000)
「虎穴に入らずんば虎子を得ず」
に変わった(ルビなし)。以来、現在の8版まで変わっていない。何があったんだろう。そしてどう読むんだろう。気になる。
かたや、漢和系は「虎子(こし)」一色かと思いきや、
「不入虎穴不得虎子(こけつにいらずんばこじをえず)」
▶大修館漢語新辞典(2001)
「不入虎穴不得虎子(コケツにいらずんばコジをえず)」
▶岩波新漢語辞典初版(1994)、3版(2014)
「虎穴に入らずんば虎子(=虎児)を得ず」
なんてのも存在する。
推測するに、
1)本来は「虎子=こし」だったのが
2)いつからか、「虎子=こじ」と読むようになった(「童子=どうじ」ってのもあるし)
3)読みに引っぱられて、「虎児」という表記が生じた
ということじゃないかと思うけど、
「いつから」と「どのようにして」が、全く分からない。
「漢文用」の漢和辞典で「使える」ものはあるか
日本語に、漢文の要素が大量に入っているというのは、今さら言うまでもない。明治以前、「教養」「学問」「公文書」といえば漢文だったのだから当然。
だからその子孫たる現代日本人としても、「日本の古典」の一環として、漢文は知っておくべきだし、わざわざ知ろうとしなくても知らぬ間に入り込んでいる。
とはいえ、放っておくと曖昧になったり消えていったりしちゃうので、折に触れて漢文を学び直す必要はある。
で、「漢文を学ぶため」の漢和辞典の定番は、
▶新字源(角川)
▶漢辞海(三省堂)
▶新漢語林(大修館)
▶漢字源(学研)
といったところ。これらで「糊口」を引いてみる。
▶新字源(角川)改訂新版
口にのりする。かゆをすする。転じて、生活する。また、生活。くちすぎ。〔左伝〕
――出典のみ。
▶漢辞海(三省堂)4版
かゆをすする。内容のとぼしい食物を口にする。なんとか暮らしを立てるたとえ。〈魏書〉
――これも、出典のみ。
▶新漢語林(大修館)2版
①かゆをすする。転じて、なんとか貧しい生活を立てること。
②口すぎ。くらし。生活。「困糊口(ココウにくるしむ)」
――漢文の用例はあるが、出典はない。
さて、これらの辞書に何が足りないか、おわかりだろうか。「漢字源」に答えがある。
▶漢字源(学研)5版
①口に食物を入れる。生活していくこと。また、生計。▷「春秋左氏伝」
②[日本]「糊口をしのぐ」とは、貧しく、やっとのことで、生活をしていくこと。
――そう、足りないのは「糊口をしのぐ」という日本での用例と、その意味。漢文から受けついで、今の日本でどう使われているか、という情報なんである。
実は、▶学研現代標準漢和や▶ベネッセ新修漢和といった中学生向け漢和辞典とか、▶岩波新漢語辞典とかには、「糊口をしのぐ」という用例とその意味が載っているんだが、漢文は用例も出典もない。いわんや国語辞典においてをや。
そういうわけで、「漢文を学べて同時に現代日本で役に立つ」漢和辞典は、「糊口をしのぐ」に関する限り、
▶漢字源(学研)5版
だったのであります。ちなみに、アプリ(LogoVista)で使えるのは5版だけれど、紙の本の最新は6版。
LogoVistaアプリの使い勝手は最悪だし、紙の本はかなり分厚い(索引別で2,281ページ)、ということは付け加えておきまする。
中学受験生・中学生・高校生にとって、電子辞書は使う価値があるか。
「小中高生は電子辞書を使ってもいいのか」という話はよく見かける。
だが、「小中高生にとって電子辞書は使う価値があるか」という話は見かけない。
ワタクシは、使う価値のあるものなら大いに使うべきだと思っている。
だから問題は、「使う価値があるか」
問題その1。「電子辞書」は「辞書アプリ」と比べると、圧倒的に使いにくい。
そもそも「使いやすさ」とは何か、というのが問題なのだが、
(1)どんな辞書(コンテンツ)が入っているのか
(2)用例が一発で表示されるか
(3)どんな検索のしかたができるのか
というのが大問題。
(1)小中高生向けなら、国語辞典で「広辞苑」「大辞泉」は無意味。「国語」の勉強にはならない。なぜなら「大辞泉」は小中高生向けの語釈・用例になっていないし、「広辞苑」はそもそも「国語辞典」ではなく縮小版百科事典でしかない(「岩波国語辞典」の企画が立ち上げられたのが、広辞苑編集終盤の時期だったことが、全てを物語っている。岩波が広辞苑を「国語辞典」ととらえていない証拠)
「明鏡」はたいてい入っていて、悪くはないが、中学受験生・中学生にはそれだけだとちょっときつい(語釈がわかりにくかったり、断定する根拠が薄弱だったりする)。中学受験生・中学生向けの国語辞典を電子辞書に搭載しているメーカーは存在しない。(「小学国語辞典」の類は、中学受験には役に立たない)
(2)最近のカシオの電子辞書は、いちいち用例ボタンを押さなくても用例が表示されるコンテンツが増えた。だが未だに用例ボタンを押さないといけない辞書も多々ある。シャープはもっと多い。SIIは少なかったんだが、撤退しちゃったし。
(3)iOS用の「物書堂」は、非常にすぐれた辞書アプリ。「LogoVista」(Android用もある)と比べてみると、雲泥の差(物書堂が雲)。たとえばLogoVistaはデフォルトが前方一致で、たとえ完全一致に変更して検索しても、次の語を調べるときには勝手に前方一致に戻っちゃう。これがイラつく。たとえば「衣」を国語辞典の漢字項目として検索する時には音読みで検索するしかないので、「い」で検索するわけだが、「い」の前方一致なんてアナタ、どんだけの語がヒットするか… それをいちいち「完全一致」ボタンをクリックしないといけないなんて仕様、誰が考えた? 責任者出てこい。
とはいえ電子辞書では(少なくともカシオは)、そもそも「前方一致」「後方一致」「完全一致」が選べない。これはもう、問題外のお粗末さ。
学校では、辞書としてもスマホの使用が認められていないだろうから、紙の辞書でなければ電子辞書を使うしかないんだが、その使い勝手は、何年経っても「使いやすさ」とは程遠い。カシオの独占状態になっちゃった後はなおさら。だから小中高生は、たとえ電子辞書の使用を許されたとしても、コンテンツを十分に利用できるソフトのついてない機械に振り回されて、辞書を効率的に使うということが全くできないんである。
問題その2。電子辞書をデフォルトの設定で使っている人が多すぎる。
たとえばカシオの電子辞書、「設定」のボタンを押すと「複数辞書」という項目があるんだが、その中の「日本語検索絞り込み設定」を「選択」したことのある人はどれだけいるだろうか。
選択すると、日本語で入力すると表示される可能性のある辞書がズラリと並んでいる。たとえば中学受験生向けに某塾が推奨しているという機種でも、「ひとり歩きのナンチャラ語」が十数個表示される。これらは、「複数辞書検索」の際、非表示にできるのだが、果たして余計なのを非表示にしている人はどれだけいるだろうか。そして、この機種をひとに薦められたとして、そのひとから非表示にすることも教えてもらえた人がどれだけいるだろうか。
ただ問題は、余計なのをどんどん非表示にしていくと、使う価値ある辞書がほとんど残らないということがバレちゃうこと。小中高生が本当に使う価値ある辞書は、ほとんど電子辞書化されていないから。
電子辞書のコンテンツで、推奨を◎、ないよりマシを△とすると、国語辞典・漢和辞典・英和/和英辞典では
「明鏡国語辞典」△
「ジーニアス英和・和英辞典」△
というのが関の山。
◎は無し。
ということを、電子辞書を使う人は、覚悟せんといかんのであります。
結論:時間と手間がかかるからメンドクサイ、とか言って辞書を引かないよりは、マシ。ただし、設定は整えるべし。
ちなみにワタクシが使う「紙以外」の辞書は、
【物書堂】で、「三国8版」「新明国8版」「明鏡3版」「大辞林4版」「精選版日国」、「新字源改訂新版」「漢辞海4版」、「旺文社全訳古語4版」、「ウィズダム英和4版/和英3版」「オーレックス英和2版/和英2版」「コンパスローズ英和」、「Cobuild Advanced American Dictionary」「Collins Dictionary and Thesaurus」など。
【LogoVista】で、「岩国8版」「新明国7版」「旺国11版」「旺文社標準国語8版」「旺文社標準漢和7版」「漢字源5版」
【カシオEX-word】で、「大辞泉」「明鏡2版」「新漢語林2版」「大修館全訳古語」、「リーダーズ英和3版」「新英和大辞典6版」「新和英大辞典5版」「ジーニアス英和大辞典」「ジーニアス英和5版/和英3版」、Longman「LDOCE」、Oxford「OALD」「ODE」「OID」「OPV」「OCD」など。
国語辞典比較:「~にさわる」のか「~をさわる」のか
「~をさわる」という言い方を、最近耳にすることが多いけれど、耳ざわりで仕方がない。「~にさわる」じゃないのか?
で、辞書くんたちに訊いてみた。
▶岩波国語辞典5版(1994)
さわる【触る・障る】①(体の一部、特に指や手のひらや足先などが)物に(軽く)くっつく。【触】「手が―」「何かが足先に―」…▷「手で―」は意図的な場合を言い、「手が―」は意図の有無にかかわらず状態を言う。
近ごろ、「その問題には―らずにおこう」のように、触れる②の意に使う人が出てきたが、避けて済ませたい気持ちからの比ゆでなければ、本来の用法とは言えない。「触れる」との混同から、「壁を―」のような他動詞的用法も現れ始めた。
「岩国」は、1990年代前半にしてすでに、「さわる」の新たな使い方に目を向けていた(とはいえ、2019年の8版も説明は変わっていない)。かたや「三国」はといえば、
▶三省堂国語辞典4版(1992)〜6版(2008)
さわる【触る】①近づいて軽く当たる。固体にふれるときにいう。〔「ふれる」よりも話しことば的〕「手に―・寄ると―と」…
と、「さわる」の変化にはほとんど意識が向いていない。ところが、
▶三省堂国語辞典7版(2013)
さわる【触る】①手のひら・指などを表面に当て(て、様子をたしかめ)る。「かべに触ってみる・手でかべを―・からだを―」
用例に「を」の例が、注釈なしに出ている。そして
▶三省堂国語辞典8版(2021)
[区別]「触る」は意図的な感じ。「触(ふ)れる」は意図せずに、またはちょっとだけ当てる感じがある。「かべを触る」は意図的だが、「かべに触る」はうっかり触った場合を含む。
という説明が加わった。なるほど。
で、「新明国」。最初は
▶新明解国語辞典2版(1974)
さわる【触る】①近づいて、その物に軽く当たる。〔「触れる」よりも話し言葉的〕「これに―な」
と、あっさりだったのが、
▶新明解国語辞典3版(1981)・4版(1989)
さわる【触る】①何か・に手が(が手に)接して、そのものの存在を確かめたりある種の刺激を受けたりする。〔多く、意図的な動作について言う〕「触ってはいけない・軽く―」
と、山田節増強の後、5版では
▶新明解国語辞典5版(1997)・6版(2005)
さわる【触る】〈なに・だれニ―〉
「~に」というコロケーションが追加された。「に」が正統か。ところが第7版では
▶新明解国語辞典7版(2011)・8版(2020)
[文法]「ペンキを塗ったばかりの壁に触ってしまった」「ポケットに手を入れると指先に触るものがあった」などと(必ずしも)意図的でない行為である場合には多く「…に触る」となるが、「感触を確かめようとバラの花びらを触る」などと意図的な行為として行う場合には「…を触る」の形を用いる傾向がある。
という説明がついた。なるほどそうなのか。なんか説得力ある気がする。
もひとつ、「明鏡」は、
▶明鏡国語辞典2版(2010)・3版(2020)
さわる【触る】①あるものに手などをふれる。「そっと手で触ってみる」「額に触ると熱がある」「展示品には触らない」
〔使い方〕(1)近年他動詞としても使う。動作の積極性が増強される趣がある。「子どもらがウサギやヤギを触ってはしゃぎ回る」「横綱のまわしを触ることもできないで突き出される」
って書いてあって「積極性が増強される」という説明にはなるほどと思うけれど、「を」がつくのが他動詞だというのはわかるとして、「に」がつくと他動詞じゃない、と明言していいのか?
(ちなみに大辞林は、『日本語では、目的語の表示が必ずしも明らかでなく、また、目的語をとらない「泣く」が「子どもに泣かれる」のように受け身に使われたりして、自動詞と他動詞の区別を明確にしにくい面がある』と書いている)
――「岩国」が「他動詞的」としているのに対し、「他動詞として」と断定。こういう生半可な(根拠不明確な)断定が多いから、明鏡は好きになれんのだわ。
ともあれ、最後はこれ。
▶てにをは辞典(2010)
「を」の用例が20個。「に」の用例が22個。ほぼ互角。うーん、最近そうだったんだ。
――それにしても、触る場所のヤバい例がいくつも…(笑)